2月19日のフェイスブックに投稿したこの本。
生きることば~あなたへ(瀬戸内寂聴著・光文社)
好きな箇所を少し書き抜いてみますね^^
「 」で書かれているところが本からお借りした文章です。
「すべての宗教の究極は、
ゆるすことを学ぶことに尽きるのではないでしょうか。
ゆるすとは自分がゆるすこととはちがいます。
超越的なものがゆるして存続させている、
この生々流転を、悲しみの目で見守れるようになることでしょう。」
悪いことをした人は地獄へ行くのでしょうか?
いえ、そういう人すらも天国へと導くのが大いなるものです。
でもつい私たちは”裁いて”しまいます。
あんなに悪いことをした人なのだから死刑になって当たり前、
ひどい亡くなりかたをしても当然だと。
いつか時間は流れて、人の痛みも薄れて、
そうして大いなるかたが悪いことをした人をゆるすことを
静かな悲しみをもって見つめていく。
これが本当のゆるしだと思うのです。
だから私たちが誰かをゆるすことすらも、
もしかするとエゴかもしれません。
弱い人間と絶対なる大いなるものの差はそこにあるのですよね。
「キリスト教系の女子大生のとき、
『み心のままに』という祈りのことばを教えてもらいました。
仏教徒になって、わたしはこの好きだったことばを
また身近に思い出します。
『み心』はキリストでもブッダでもいいのです。
自分が帰依した超越者のみ心のままに自分がゆるされ、
生かされていると思うと、
何と気が楽になるものでしょう。
つける薬はなくとも『み心のまま』という呪文さえ覚えておけば、
この世は楽しいし、明日もまた生きていけそうな気がして
眠りにつけるから不思議なことです。」
最近、ないものを数えるよりも、
あるものを数えている自分に気づきました。
そして何かがあると大いなるものに身を任せられるようになりました。
いつか何かの結論が出る、
それまでは迷いながら葛藤を繰り返して
人間臭く生きていくのも、悟りへの一歩だと思うのです。