「喪の作業」
という考えかたがあります。
精神分析のフロイトが唱え、
その後ボウルビィが細分化しました。
喪失体験をしたときの
人間の心理について
あるプロセスをたどると考えたのです。
その段階とは次の通りです。
① 無感覚の段階(直後から1週間ほど)
激しい衝撃に呆然とし、
ショックを受けている状態
② 否認・抗議の段階
対象喪失を認めようとせず、
認めさせようとする者に抗議する状態
③ 絶望・失意の段階
激しい失意、不安、抑うつといった
心理的反応が現れる状態
怒る人、無感動になる人、
宗教にはまる人
④ 離脱・再建の段階
喪失を次第に受け止め、
事実と折り合いをつける状態
私は、自分にもしものことがあったとき、
お葬式は家族だけでひっそりと・・
と思っていました。
でもお葬式というものは、もしかすると
残された者の「喪の作業」のために
あるのかもしれないと考え直しました。
お葬式をすることで
ひとつ気持ちに区切りが
つくのではないかと思うからです。
死者との別れに何かしらの
儀式が必要だとすると
生きている間にその準備を
しておいてあげたいと思っています。
そして悲嘆や喪失とは、
何も死ばかりではありません。
大事なものを失う、それは恋愛も、
定年も、引越しすらそうかもしれません。
よく失恋とともに
髪を切る女性がいますね?
あれも儀式のひとつです。
思い出の品物を捨てるなんてこともそう。
そうやって、心にぽっかりと空いた穴を
日にち薬とともに少しずつ
癒していくのでしょう。
死や悲しみを
避けて通ることはできません。
こわいものでもありません。
いつか来るその日のために
人生を見つめてみるのも
たまには良いのではないでしょうか。