「神田先生は何でもできるのですねぇ。」

そう言われました。

 

でもね・・

私だってすべてがうまくいっている訳ではありません。

大学の編入試験は合格しましたが、

研究所のコース変更試験は不合格でした。

別の大学の社会福祉学科も動機の曖昧さから不合格通知。

 

「子どもがいても仕事を拡大し続けていて

全部を手に入れていますよねぇ。」

そうも言われたことがありました。

 

42歳で娘を授かったのは、

本当に運?偶然?としか言えなくて、

妊娠がわかった日の翌日には

遠方への出張が入っていました。

講演会の代わりを頼んだ講師を気に入ってもらえず

クレームになったこともありました。

 

二十代の頃に子どもが欲しくて

3回人工受精を受けましたができませんでした。

今のように体外受精もない頃で、

朝、夫の精子を瓶に取り

死なないように下着の間に挟めて

病院へ持っていきました。

三回目にチャレンジしたとき、

痛みから上の血圧が50まで下がったことで、

何のためにこんなことをしてまで

不自然に子どもを作らなくてはいけないのか、

自然にできないのなら仕方ないのでは?と感じ、

それを契機に子づくりをやめました。

育児も仕事も手を抜きながら、

誰かの力をいつもお借りしてここまでやってきました。

 

また、仕事上で信じていた人に、

裏切りと周囲が言うような行動を取られたことも

何度かありました。

それでも人を信じられない自分よりも、

信じてだまされるほうがまだいいと思うようにして

前に進みました。

 

よく不幸自慢で仕事をしているカウンセラーもいますが、

だからどうしたの?って感じです。

同じような心の痛みを抱えながら皆生きているのです。

私は不幸をうりにしたりしない。

 

きっとね、他人の人生を羨ましく思うのは、

今あなたが欲しくても手に入れられていないものを

その人が持っているから、なのです。

あなたはそれを手に入れて幸せになれそうですか?

 

 

すべてがうまくいっている人などいる訳がありません。

いるとしたら、

起こったできごとにどんな意味があるのだろう?と考え、

生きるヒントに変えているから、

そう見えるのかもしれません。

そして、たぶん傷つくことを恐れずに

より多くの行動をとっているからではないでしょうか。

 

他人を羨む前に、

まず自分にあるものを数えてみませんか。

それはその相手が持っていないものなのかもしれませんよ?

 

自分を幸せにできるのは自分だけです。

もう・・・幸せになりましょう?