冬休み明けの授業が今日から再開♪
今日のスピリチュアル原論で、
今まで私が行なってきたカウンセリングとは
少し違うカウンセリングの形があることを実感しました。
その話はそのうちにまた・・♪
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今回は例として出した先生の言葉について。
~「愛しい」~
これを皆さんは何と読みますか?
もしこれをね、
「かなしい」と読んだら、
そこにどんな思いがあるのを感じ取りますか?
私ね、他者を愛することって・・
哀しみを含んでいることのように思うのです。
どんなに好きであっても、肉体は別々だから・・
相手の感情や痛みを完璧に感じ取ることはできません。
理解したくても、
しきれない「せつなさ」がそこにはあります。
さらに「せつない」は「切ない」と書きますよね。
切れないのです、、好きだから。
離れることもできないけれど、100%一緒になれない切なさ・・・
ふと映画「失楽園」を思い出しました。
あれはどうして美しいのか?
いつか終わるはずの”恋愛”というものでありながら
お互いの想いがピークの時に心中するのです。
それもセックスの最中に、身体を合わせながら死んでいく・・・
無常観・・何もかもが変化し続けるものであるはずなのに
二人の関係だけは心身ともに瞬間凍結されるのです。
まあ、あまり美化するつもりはありませんが、
現実には起こりにくいことだからこそ
映画にもなるのでしょうね。
もしもあの話が現実なら
不倫の結果、隣町へでも逃げて
慰謝料を支払って?アパートの一室で生活をして・・
でも売れない編集長・・経済的に厳しいかもしれません。
そのせいでけんかが多くなって・・・
ほら、それでは美しくないでしょう?
恋愛は切なくて愛しいから美しいのです^^