先日の上智大学公開講座で今通っているグリーフケア研究所の所長島薗進先生のお話がありました。
研究所では私は死生学と宗教論をこの先生から学んでいます。
毎回、ノートを取るのが追い付かないくらい博識で、深い知識を伝授いただいています。
「船艦大和の最期」吉田満
「楢山節考」深沢七郎
「悼む人」天童荒太
この3人の著書を元に戦争で亡くしたもの、亡くした人、
そして悲嘆についての講義をしてくださいました。
戦後の日本人は「悲しむ力の回復」を求めてきたのです。
無残で不条理な理不尽な・・・そんな死を、
残された者は忘れないと生きてはいけない・・・
でも忘れてはいけないことでもあるのです。
そんないのちの重さを現代人は”悲しむ力”すら失っていないか?と問題提起されました。
吉田満はキリスト教を信仰することで生きることへの灯りを見出し、
たくさんの著作の中で亡くなったひとりひとりの「ものがたり」を作っていきます。
深沢七郎は物語の中で、悲しみに耐えて慈しみに生きる生き方を描きました。
そして天童荒太は、理不尽な死を遂げたかたがたを悼む旅に出る主人公を通して、
人のいのちの尊さにどれだけ寄り添えるのかを伝えてきます。
折りしも、昭和の名女優原節子の訃報が入りました。
戦争は終わってもまだ人々の悲しみそのものは続いていることを
もっと私たちは意識しなくてはいけないのだと思いました。